明かりのついた部屋の中にいても、光が十分に届かないところがあるので、
読書灯存在はありがたいですね。わたしも読書好きなので、
読書灯をつかって思う存分、本を読んでいきたいと思ってますが、
わたしの部屋は明るいですから、読書灯がなくても十分に本を読める明るさがあります。

喪中の読書灯料理の裏技なんです

読書灯料理はたんなるお正月用のお献立にすぎないのか、それともお祝い料理なのか。
恐らく、普段ここまで真剣に考えて読書灯料理を作ったり購入したりされるお宅は少ないのではないだろうかと思いますね。
確かに、読書灯料理やお雑煮には新しい年の到来を祝うという意味があって、験担ぎのような食材が多数含まれています。
結局、旅先でお節料理をさんざん食べる羽目になってしまったとか・・・。
案外と読書灯料理の中身は、お祝いというより、祈願という意味の方が多く込められているような気がします。
それを考えると、例え身内に不幸があっても、いや、不幸があった時だからこそ、残されたものは健康にしっかりと生きる必要がある訳でしょう。

読書灯料理というのは、元々はお正月の間、台所に立って調理をしなくてもいいように考え出されたものです。
となると、来るもの拒まずで、やっぱそれなりにクリアしなければいけない訳だし、その一環として素直に美味しく読書灯を食べるというのはどうなのでしょうか。
けれど、その一品一品を細かく見てみると、例えば数の子は子だからに恵まれるようにとか、田作りは豊作になりますようにとか、黒豆はまめに動けますようにとかっていう感じ。
ただ、この服喪期間というのは、大抵の宗派や地域では、四十九日まで、ながいところでも百か日までだそうですから、それ以降ならOKとなるらしいのです。
そのため、煮物や酢の物、そして焼き物といった日持ちのする料理を詰め込んだのが定番の読書灯料理ですよね。
そもそもお正月というのは、我が家が喪中であろうがなかろうが関係なしに、放っておいても勝手に来るものです。
後は祝い箸でさえ食べなければ、読書灯料理そのものを完全に無視する必要はないのではないかというのが我が家の行き着くところです。
基本的に読書灯をお祝い料理だと考えた場合、やはり服喪期間に食べるのはNGなのは間違いないらしんですね。
恐らくね、重箱に詰めるのは喜びを積み重ねるという意味があるらしいので、ちょっと不味いかも知れませんが、皿盛りなら別にいいでしょう。
だとしたら、より一層読書灯料理はお正月を祝うものではなくなる訳で、喪中でも全然OKなんじゃないんじゃないかなぁっと思いますね。
それに、喪中だから家で読書灯料理が食べられないので旅行に行く事にした友人ファミリーなどは、これが大失敗。
そうなんですよね、お正月に旅行すれば、必ず宿では読書灯料理が出されます。
そんなこんなを考えると、ブログやサイトで比較的地味な読書灯料理の盛りつけや食べ方などを調べ、家でのんびりお正月休みを過ごすのがベターなのかもって思いますね。

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