写真と俳句という二つの趣味と芸術を巧みに組み合わせたフォト俳句。
でも、その方が分かりやすく、
文字離れの進む現代人にも親しみ安いような気がするのは私だけなのでしょうか。
いい句よりも、いい写真が撮れるようになってからと想って、デジカメの腕を磨いているところです。
結構写真の取り方や俳句の読み方に関するブログやサイトで勉強したりなんかもしているんですよ。

写真俳句の世界にも興味を持ったというのが実際のところですね。

特に、森村誠一氏監修の写真俳句ブログというサイトは、誰でもが自由に作品投稿出来るコミュニティーサイト。
て、そっくりそのままじゃんっと思われるかも知れませんが、実はこの写真俳句、かの有名な作家の森村誠一氏の登録商標だってご存じですか。
森村誠一と言えば、「人間の証明」や「悪魔の飽食」などで知られるハードボイルド系の推理作家。
推理小説大好きの私は、普段から西村京太郎氏の作品を愛読しています。
でも、自分の世界観を本当に出したければ、森村先生のおっしゃるように、細かなルールに拘らない事が何より大事。
ルールがないのが写真俳句のルールみたいなものだと森村誠一氏は語っておられます。
今回、この写真俳句を知って、森村誠一氏の全く知らなかった一面を見たような気がしました。
まあこれは余りにも子供じみた写真俳句ですが、あくまでも一例なので、ご勘弁を。
写真俳句の世界にも興味を持ったというのが実際のところですね。
よくよく考えてみれば、これは画像は画像に、言葉は言葉に頼るという非常にストレートな表現方法。
写真俳句にはまられるほど穏やかないい晩年をお過ごしになっていらっしゃるという事なのかも知れませんね。
まあ考えてみれば、森村誠一先生も、今や立派なご老人ですからね。
だけど、森村誠一ワールドや松本清張ワールドには、中々そういうデリケートな部分を見出せないでいる私。

写真俳句は写真が季語を映し出しているのですから、五七五の中は無季語でも全然OK。
西村ワールドの中には、確かに写真俳句のようなにんわな雰囲気も時より見え隠れしているのは感じますよ。
けれど、この余りにも単純な画像と言葉のコラボこそが、写真俳句の最高の魅力ではないかと私は思います。

写真俳句を世に広めた事で、新たな文学者として今再び脚光を浴びる森村誠一氏。
実際、森村誠一氏を審査委員長に迎え、フォト俳句コンテストなどを開催する自治体も増えているそうですよ。
そして、そのギャップがなんだか新鮮で、とても面白いなぁっと思ってね。写真俳句というのは、一枚の写真に五七五の十七文字の俳句や川柳を添えたものです。
確かにその通りで、目は口ほどにものを言うと言われるように、写真は視覚から沢山の情報を伝えられる素材です。
実際、森村誠一氏自身も、毎日の散歩の中で、この写真俳句という新しい表現方法を思い付かれたそうですよ。

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