2013年、これからも「持続する志」を胸に?田中優さんの言霊なんです
昨年は脳幹出血で、生まれて初めて入院したので。 おまけに縁もゆかりもない岡山県に転居したりしましたし。 山の見える土地に住みたかったんです。 泳げるぐらいきれいな川も流れているし。
天気のいい土曜日だ。私はやはりお日さまは好きだ。元気になる気がする。 「私は、陽にあたって生き返ったハエのような気がしますよ」 子どものころ読んだ、外国の児童小説にでてくるおばあさんが、しみじみ言っていたと思う。あのころ、この
久々にネットで調べてみると なんと新たに展開が進んでる! 突然の脳幹出血で意識不明になった 親友の宮プーさんを 復活させているではないか! すごいぞこれは! MSを発症し、初めて体が思うように 動かなくまった彼女は、 今は回復し元気になった。
とても寒く感じる日。 本人は元気だ。体調もいい。一方介護者は、自分のことでちょっと考えることがあった。 最近くしゃみがよく出ることがある。風邪を引くといやなので、いろいろ予防したり、危なそうなときは、薬をのんだりしたが、ふと思った。
ミュージシャンの桑名正博(10/26)も、脳幹出血で倒れ意識不明のまま帰らぬ人となった。桑名のヒット曲「セクシャルバイオレットNo.1」(1979年)と同じく筒美京平作曲による「また逢う日まで」で1971年の日本レコード大賞に輝い
昨夕、いつも通り、本人は帰ってきたが、ちょっとぞっとした。送りのヘルパーさんが言う。 「実はお熱が……38℃で」 「ええっ!」 ということで、すぐさまベッドに戻す。「もしかして、もこもこ(毛布など)かけたりしたからかな」などとつぶやいている
でもな、突然、脳幹出血。 身寄りがほとんどいない宮プー。 かっこちゃんが家族のように、お医者さんから宮プーの体の状況を伝えられたりした。 CTスキャンの写真を見ながら、お医者さんはかっこちゃんがまったく信じることが出来ない言葉を発した。
本人の調子もよくデイに送り出すことができた。秋の終わり、少ししゃれたコートを買っておいたので、着せてみたら暖かそうで、しかも移乗が楽だった。このまま元気に帰って来てもらいたいと思う。 出て行くと、どうしてもやることがある。全部やっ
かっこちゃんはご自身が出会ってきたお子さん達との日々や 脳幹出血で倒れた同僚の宮田俊也さんとの日々から その方法を教えてくれます。 ↓ そして同じく、打ち上げ会場にててんつくマンと ^^♪ てんつくマンは不思議な人。
先日、朝のラジオFMで「生活の工夫」のようなコーナーがあった。「朝の目ざめをすっきりするためには、冷たい水で顔を洗うといい」ということで、ふんふんと聞いていた。 「……できれば氷を5?6個、入れるといいですね」 パーソナリティーが簡単
タイトルは「僕のうしろに道はできる」、脳幹出血で倒れ一生植物状態と言われた宮田俊也さん(宮ぷー)の言葉です。意思がある事と回復とを心底から信じるかっこちゃんや仲間達の愛と、全力のサポートで今やレッツチャットでコミュニケーションをしたり
とても寒い日だ。風が冷たい。 しかし、今日から下のゴミ置き場が開くので、嫌だけどコートを着て、ごみを捨てに行った。本人と介護者二人暮らしでも、大みそか、三が日で4袋ほどになることに、今さらながら驚く。 ホールでは、情報員オバ―
特養は要介護3の旦那母には微妙なところで 一つの課題です 旦那母が落ち着いたと思ったら 9月初めに私の弟が脳幹出血で倒れ 大事な部分の所だから ネットで調べたら最悪のことしか書いてないし どうしましょうと思いましたが まっ
昨日の「箱根駅伝」の往路。 湘南の海岸線を選手たちが走っているときは、観ていてかわいそうだった。強い風に砂、とは。 毎年見ているけれど、こんなことはあっただろうか、と思う。それでも「沿道の人垣が盾になっていた」ことは不幸中の幸い
少し前のことだが、 写真家の曽根陽一先生が脳幹出血で倒れたことをfacebookで知った。 奥様が先生のアカウントで、危険な状態ということで病状を書かれていた。 中学生のとき、月刊カメラマンで曽根先生の写真を見て、素敵だと思った。
3が日に発見された、介護者の体重増、1キログラムは闘いにより元に戻った。 これで市中引き回し、獄門は免れたが、百叩きの刑くらいには該当すると思う。で、先日の更新で「朝食を玄米フレーク……に戻した」と書いたが、さすがに日に日に
Microsoft Windows 8 発売 ■26日、[セクシャルバイオレットNO.1] 7月に脳幹出血で倒れ意識不明だった、歌手 桑名正博さん 心不全により死去(享年58) ■28日、[W杯] フットサル日本代表 キングカズこと三浦知良選手が
桑名正博 現在 医療費 脳幹出血 7月15日に脳幹出血で意識不明となっていた歌手の桑名正博さんが本日午後、入院先の大阪市内の病院で亡くなられました。 桑名正博さんは59歳の若さでこの世を去りました。 こちら桑名正博さん お通夜
ある日、子供たちから宮ぷーと 慕われていた同僚の宮田俊也さんが脳幹出血で倒れ植物人間になりました。 先生は、絶対治ると毎日毎日看病に行きました。 すると、医師から見放されていた宮ぶーの瞼が動き、、、 山元先生は
【今日は小寒】1月5日は二十四節気の一つ「小寒(しょうかん)」です。寒さが最も厳しくなったり寒さが加わる頃という意味で、いわゆる「寒の入り」のこと。15日後の「大寒」を経て立春前日の「節分」までを「寒の内(寒中)」といい、この1か月間が1
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