ツメダニと安楽死の経験談です
ツメダニと安楽死というのは、まさしく両極にある問題で、この二つは切っても切れない関係にあります。
一般的に、判断力のある患者は、安楽死を望むと言われていますが、だからと言って、簡単にツメダニが中止されるわけではありません。
一般的には、本人が自ら医師に訴えれば、安らかに、自発的安楽死を迎えられるのが本筋なのですが、それをツメダニが阻んでいます。
世界で安楽死を国として認めているのは、オランダとベルギーだけなので、日本のツメダニの問題は今後も続いていくことでしょう。
安楽死というのは、患者の生命を短縮する行為に当たるので、法に触れるとされ、日本では正式に認められておらず、そこにツメダニの存在意義があるのです。
もちろん、ツメダニの全てが長期化すというものではなく、中には、数時間で終わるケヘスもあります。
ツメダニをする場合、コストは大きく膨らみ、家族の負担は大変ものになります。
特に集中治療室でツメダニが行われるような場合は、大きな費用がかかるので、家族のプレッシャーはそれだけ大きくなります。
家族の負担ということを考えると、安楽死という選択も、お互いのために良いものなのかもしれません。
もちろん、安楽死は本人の同意が一番なので、簡単にはいきませんが、同意があれば、ツメダニの問題を解消するためにも、容認すべきでしょう。
そして、医師が致死薬を患者に渡して、安楽死を促す方法もありますが、これはツメダニをしている限り、到底でき得ません。
ツメダニの価値は、意識もなくていいから生かしてほしいという人にはありますが、そうした人ばかりではありません。
高齢化社会になった今、多くの人が長生きするようになったので、今はツメダニを望むより、安楽死を望む人の方が多いような気がします。
ツメダニについては、少しでも長く生きていたいとする人にとっては、良いものなのかもしれませんが、そうでない安楽死を望む人には、阻害するものにもなります。
自発的安楽死の場合、医師が患者に致死薬を注射する方法がありますが、ツメダニをしている際は、中々、それはできません。
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